対話式・数学と哲学 「内在性」について。

 

 

x 最近やっと対角化ができるようになったわw

 

 

僕 ちなみに対角化は僕はできません。でもそれに必要な固有値の考え方ならざっくりならわかります。

 

 

x 対角化出来なかったら一年後期の幾何学は単位来なくねぇかww 固有値は同じ方向に何倍されるかの値のことじゃないの? 何で複素数値を扱うかは知らんけど

 

 

僕 確かに試験は対角化しないとできないかもしれませんが、試験のために一時的にやり方覚えただけだったのでやり方は忘れました(笑)固有値と対角化は関連があるので固有値知らずして対角化だけできても正直意味はないです。複素数が出てくるのは固有値を求める際に固有方程式を解くんですが、これは要は代数方程式を解くわけで複素数解がある方がいいんです。*1固有値の定義は確かに、あるベクトルの線形変換の結果がたまたまスカラー倍になっているときのそのスカラーですが、固有値は「内在性」という非常に抽象度の高い、しかし本質的な性質を持っているのでこの定義以上の奥深い性質をはらんでいます。(これについては次回記事で言及します。)

 

 

x その、内在性ってなんじゃ?

 

 

僕 まぁ何つーか一言で言えるような代物じゃないんだけどまぁ内在的幾何学と外在的幾何学っつーのがあるんだけど、例えばさ、単位円の方程式ってどう描く?

 

 

x 原点中心としてx^2+y^2=1

 

 

僕 うん。で、ところで円って何次元だと思う?

 

 

x 2次元?

 

 

僕 なぜ?

 

 

x 平面に描かれるから?

 

 

僕 では、3次元空間に円があれば?イメージとしては3次元空間に輪ゴム(円)が浮いているとすれば?この場合、円は3次元?

 

 

x うーん・・・わからん・・・。

 

 

僕 そもそも同じ図形なのにその時々で次元が変わるっておかしい。

 

 

x まぁそうだね。

 

 

僕 さっきのx^2+y^2=1じゃなくて

  x=\cos θ ,

  y=\sin θ

とパラメータ表示すればこれも円の方程式になるでしょ?この場合さっきはx,yの2変数必要だったけど、今はパラメータθ一つで済むことになる。

  変数が一つということは円はθの軌跡と考えるとθの値一つで円の位置が特定できちゃうわけだから円が1次元と判断するのは妥当だろう。

 

 

x 直線上の点は実数と1対1対応するから実数一つ指定するだけで直線上の位置が特定できる。だから直線は1次元っていうのと一緒の考え方だね?

 

 

僕 そう。平面上の点は二つの実数があれば特定できる。例えばxy。だから二次元。円なら一つの実数θを特定するだけでいい。まぁ例えばθθ+2πとかθ+4πとかも全部同じ点を特定しちゃうから直線みたいに1対1じゃないけどそれが気に食わなければ0≦θ\lt 2πとか-π≦θ\lt πとかって範囲を絞ればいい。

 

 

x それはいいんだけど、じゃあなんで最初の方程式x^2+y^2=1みたいな2変数の式が出てくる?

 

 

僕 まぁ2変数x,yは独立変数じゃないっていうのが原因だね。変数同士が依存し合ってる。線形代数でも一次独立でない二つのベクトルは二次元空間を生成できず高々1次元空間をなす、というのをやったと思う(二つとも0ベクトルなら0次元空間をなす)が、それと似た様なもん。

 

 

x なるほど。円の場合は2変数あるけど変数同士が依存し合ってるから1次元の図形(円)になるってことか。

 

 

僕 そうそう。当たり前のことを言うようだが、平面の場合、x,yは平面上どこでも自由に動けるんだけど、円の場合、x,yの動きは円上に制限されている。つまり、円上でしか動けない。x,yという変数の数2からx^2+y^2=1という方程式の数1を引くと2ー1=1で結局円の次元は1となる。

  あ、この「(変数の数)ー(図形の方程式の数)=(図形の次元)」っていうのはまぁ気にしなくていい。で、もともと何の話だったか覚えてる?

 

 

x えっと、内在的幾何学と外在的幾何学だっけ?

 

 

僕 うん。x^2+y^2=1みたいな式で考える幾何学は外在的幾何学という。んで

  x=\cos θ,

  y=\sin θ

みたいに考える幾何学は内在的幾何学という。

 

 

x 同じ図形なのに方程式が違うと幾何学の種類も違うと?

 

 

僕 というか捉え方の違い。前者は平面という全体の宇宙があってその中に円という図形がある、っていうイメージ。地球を飛び出せば、地球外から地球を見ることができる。それと同じで円から飛び出して、円の外部(平面から単位円を除いたもの)から円を眺めるっていうイメージだ。だから外在的幾何学

 

 

x なるほど。

 

 

僕 一方、

  x=\cosθ,

  y=\sinθ

の方は円というのがそもそも全体の宇宙だと考える。単位円そのものしかなくて、これが宇宙全体なんだから、単位円の「外部」なんてものは存在しない。宇宙を調べるときは宇宙の外に出るということはできない。宇宙について知りたけりゃ宇宙の中から調べるしかない。それと一緒で、この単位円という全体宇宙を捉えるには単位円という1次元の図形の中から単位円について調べるしかない。これが内在的幾何学

 

 

x 外から図形を眺めることができる外在的幾何学と、図形自体が宇宙全体になっていてその「外」なんてない内在的幾何学っていうこと?

 

 

僕 そう。これは何も数学に限った話ではない。例えば電車の動きを見るには、地球というか電車付近の3次元空間を全宇宙と考えて、電車の外から電車を眺めることで電車の運きについて調べようとする。これは

 

 

x 外在的幾何学の発想だね!

 

 

僕 そう。一方で、電車の中での運動を考える時には電車を「全宇宙」と考えてもなんら問題ない。むしろそうしないとややこしい。あるいは家の中のことを調べようと思った時、家の中を調べるんであれば家の外のことはどうでもいい。あるいはずーっと家にいる引きこもりとかだったら家の外の世界なんてどうでもいい。いや家の外のことなんぞ知る由も無いかもしれぬ。この場合、

 

 

x 内在的!

 

 

僕 そう。でご近所さんとか郵便配達員とかが外から家を見てると外在的幾何学と言える。家そのもののを考える時に、例えば間取り図を見る時、外部との相対的な位置関係の情報などいらない。だって知りたいのは家の内部のことなんだから。でも郵便配達員とかにとって重要なのは住宅地図だ。なぜならどこにどの家があるから知りたいからね。

 

 

 x うんうん。

 

 

僕 円のように「家の方程式」がP(x,y)=0(注:単位円の場合x^2+y^2-1=0)みたいな感じで表されるとしてこれは外在的表現であって、

  x=Q(t),

  y=R(t)

とかって書けばこれは内在的表現だろう。

 

 

x 住宅地図はP=0で、 間取り図は

  X=Q,

  Y=R

かな?

 

 

僕 うん。さっきの円もそうだが、表現方法が違うだけで同じ円なり家なりを表しているとしても全然その式の「意味」が違ってくる。

 

 

x いやなんかお前が計算とか式とかどうでもいいというのもわかる気がした。

 

 

僕 まぁ計算上どっちも一緒だからね。あくまでも試験とかでもどっちの方が楽に計算できるか?とかに重きが置かれるけど実はこういう背後の意味ってーのがあると思うんだよ。それを置き去りにするのが試験なんだが*2

 

 

x とはいえ数学の試験ならまだある程度実力をはかれる気はするが?

 

 

僕 まぁ僕の持論だけどまず証明は理解してなくても呪文のように証明を暗記してれば証明が書けるから「証明問題ができる=理解」とはならない。また、計算は電卓とかコンピュータとか計算機が思考をしたり理解をしてなくても答えを導けるのと一緒で理解力なくして答えを出すのが計算だから「計算できる=理解」とはならない。数学の試験で主に問われるのは証明と計算っていうこの二点だから数学の試験では到底理解力を測れない。

 

 

x なるほど。まぁ数学の何に重きをおくかっていうことにもよるだろうけどお前のように計算や証明に重きを置かないなら、数学ですら試験では理解力を計れないということになるだろうね。

 

 

僕 うん。で、話を戻すけど、よくよく考えてみればもしも円そのものについて知りたいならさっきの家の間取り図の話と一緒で外部の情報はいらないはず。

 

 

x つまり内在的に円を考えればいいじゃんってことだよね?

 

 

僕 うん。だから例えばね、x^2+y^2=1だろうが(x-a)^2+(y-b)^2=1だろうが中心の位置が変わるだけで円は円だ。(内在的に考えれば)同じ円のはずなのに式が違うのはおかしい。両方とも円そのものを考えれば一緒なんだから。

 

 

x それがまさに内在的幾何学の考え方だね。

 

 

僕 うん。つまりね、外在的幾何学はその分余分な情報があるっていうこと。

 

 

x 外部の情報だね?

 

 

僕 そう。例えば平面上の円を考えるだけでも平面の円以外の部分*3は余分だが3次元空間に輪ゴムが浮いたような感じになるとさらに余分な部分が増える。

 

 

x 内在的幾何学だとその図形そのものの情報しかないから無駄な情報がないと。

 

 

僕 そもそも円を知りたいならもはや(x-a)^2+(y-b)^2=1aやらbやらがどうでもよくなる。平行移動しても円は円なのだから。さらに回転したりひっくり返しても円は円なのだと気づく。つまり合同な関係にあるものは全部円ということで一緒とみなせる。

 

 

x 合同であれば円は円なんだから外部の情報は無駄になるっていうことね。

 

 

僕 その外部の情報ってつまり、円の位置関係なんだよね*4。円そのものにはなんら関係ない情報と言える。

 

 

x そうだね。

 

 

僕 例えば自己紹介せよって言われて、「〇〇の会社でこれこれ△△の仕事をしていて妻は✕✕をやっていて3人の子供がいて・・・」*5みたいに答えるとする。でもそれってあくまでも、「あなた」とその周囲の人間や社会との関係であって、本質的に「あなた」がどういう人間なのか?ということとは関係ない。

 

 

x そうだね。

 

 

僕 例えば本質的に僕がどういう人間なのか?であれば「数学が好き」とか「これこれこういう考えを持っている」とか、そういうことでしょう。で、円に話を戻すと、円のある種の本質を考える時にはね、つまり、そもそも円そのものを考えるならそれが存在する位置とか向きとかどうでもいい。この本質をとことん抽出してくるのが内在的幾何学と言える。簡単に言うと余計な情報を捨てて、より本質的な部分に着目するということだ。いわば外在的幾何学は余分な贅肉だらけのぽっちゃり幾何学なわけだ。

 

 

x うんうん。じゃあ内在的幾何学は余分な贅肉とかをとことん落としたスケルト幾何学って感じか。

 

 

僕 ってかまぁレントゲンみたいな感じよね。本質って直接目に見えなかったりするからね。

 

 

x 秋月康夫さんが言うところの心眼の「目」ってやつだね。

 

 

僕 うん。んで、さらにもっと考えていけば円は円なんだから大きさなんてどうでもいいっていう考え方もできる。こうなると合同な関係というより相似な関係で考える方がいいって思えてくる。

 

 

x 確かにそうか。大きさ関係なく円は円だもんな。

 

 

僕 うん。つまり円が持つ本質的な性質に着目しようとすると合同や相似といったような同値関係に着目することになる。同値関係っていうのは共通する性質を持つものどうしの関係っていうことになる。なんつーか相似な図形どうしは「同じ形状をしている」という共通の性質だし合同であれば「同じ形状でかつ同じ大きさを持っている」という共通の性質ということになる。

 

 

(注:さらにもっと考えればたとえば位相同型にまで行き着く。同値関係は多種多様である。)

 

 

x 形式的に言うと図形AはAと相似だし、AとBが相似ならBとAも相似だし、AとBが相似でしかもBとCも相似ならAとCが相似と言える。それは合同関係でも同じことが言えるよね?

 

 

僕 うん。そして、この共通の性質を持つものどうしはそれぞれ別々のものと考えるんじゃなくて同じ一つのものと考える方がいいと思わない?

 

 

x 確かにそうだな。ようは位置とか大きさが違う二つの円があったらそれを別々の円と考えるんじゃなくて「円」という括りでくくって一つのものとして考えるわけだね。

 

 

僕 そう。んでこれはまさに同値関係というか同値類の考え方そのものだよね。

 

 

x うん。

 

 

僕 そうなってくると重要なのは個々の具体的な「円」というより「円が持つ性質」そのものということになってこないかい?

 

 

x 確かに。あ、それでさっきレントゲンの話が出たのか。本質は目に見えないっていうのは、円で言えば、円は図形として目に見えるけど「円が持つ性質」は目に見えないってことだね?

 

 

僕 そうそうそうそうそう!!!!!さっきから言ってる内在的幾何学ってーのはその目に見えない本質を追求している。一方外在的幾何学は目で見て分かるんだけど、その分余分な情報もあるから、なんちゅーかその分、目が曇るっていうかね。

 

 

x なーんかだんだん哲学みたいになってきたねー!!

 

 

僕 そうそう!!こうなってくるともはや話はプラトンみたいになってくる。

 

 

x 個々の円か普遍的な円の性質か?つまり個物VS普遍っていう意味で普遍論争っぽいな。

 

 

僕 うんうん!とにかくイデア的な考えは数学ではやっぱり重要だと思うね。プラトンは我々がいるこの現実とは別のところにイデア界があると考えたけどまさしくそうだろうね。

 

 

x まぁそこは賛同しがたいところもあるがね。イデア界というと途方も無いというか本当にあるのか疑わしいというか。

 

 

僕 うん。まぁ個々の平面上の円や空間内の円はつまりは紙に円が描いてあるとか空中に輪ゴムが浮いているというイメージで物理的なものと言ってもいい。あるいはそういうイメージが脳内にあると言ってもいい。でも「円」の概念そのもの、あるいは性質そのものはこの我々がいる物理世界のどこにもありやしない。でもそれらはどこにも存在しないものでもない。円の概念や性質は抽象的な意味で「存在する」と言えるだろう。つまり、それをイデア界にあると言ってるわけだ。あの世とかみたいなオカルトティックな話とは似てるけどまぁ違うと思ってる。あるいはショーペンハウエルが言うような、物事をそのまま見るのではなく種や属という俯瞰した視点から考えるとかそういうことにも近いと思う。

 

 

x その「イデア界にある」っていうのは「脳内にある」って考えたらダメなの?

 

 

僕 それだと数学は人間が作ったみたいな思想になってしまう。でも数学は人間の存在や認識に影響されない独立したものだ。人間がいようがいまいが1+1=2なわけだからね。それに数学的概念が脳内にあるって考えるとなぜ数学が万人にとって同じなのかの説明がつかない。しかも妄想とか空想とかとの違いも説明できなくなってしまう。

 

 

x まぁそうか。あー、プラトンはあれか、円と言っても円周に太さはないから紙にかいた円は厳密な意味では円じゃないよっていうようなこと言ってたんだっけ?

 

 

僕 うん。紙に書いた円や脳内で思い浮かべる円は物理世界や脳内に存在するが、それはイデアに至るためのきっかけになるんだよね。物理世界の円を見ることでイデア的な円を想起することができるっていう説ですね。ソクラテスは我々が生まれた瞬間にイデア界のことを忘れてしまうわけだが我々はそれを思い出すために生きているという想起説をとなえたわけだね。

 

 

x うんうん。

 

 

僕 まぁイデアっていうと感覚や肉体を排除した理性とか論理とかの世界っていう誤解もあるんだけどそれは恐らくプラトンの読みが浅いんだよね。むしろイデアに至るためのきっかけとして感覚が非常に重要になってくるわけだ。数学だって一緒なんだよ。確かに結果論として理性とか論理によって何かがわかるかもしれないけどでもそのためのきっかけとしてイメージやビジュアル化が重要になってくるわけだ。

 

 

x じゃあ形式主義とかって誤解されたイデア論みたいな感じなのか。

 

 

僕 うーん、形式主義者をはじめとした、論理をすべての根源のように考える考え方って大馬鹿だと思うんですよね。もちろん数学を記述していく上で論理は重要だけどそれが本質とか根源かというと全然違うでしょう。やっぱり実際には感覚も重要だと思う。ってのはプラトンソクラテス)だって『メノン』っていう本とかで「見る」ということを非常に重視している。そもそもイデアって語源が「見る」だからね。

 

 

x 確か「定理」とかも語源が「見る」だよね。

 

 

僕 うん。だから結構視覚的に数学をやってたんじゃないかな。古代ギリシャの人たちは。アルキメデスの業績もそんな感じするし。

 

 

x うん。でもユークリッド以降は演繹法が重宝されるようになったっていう感じだね。

 

 

僕 うん。それでもまぁオイラーとかリーマンとかあの辺の数学者はまだ感覚と大胆さを持ってたんだけど、近代以降特にコーシーを始めとするような数学者たちによる解析学の整備とか20世紀の形式主義の影響でだいぶ形式色が強まったね。佐藤幹夫も現代の解析の記述法はワイエルシュトラウス的なものが主流でオイラーとかリーマンの手法はあんまり残ってないって嘆いていたね。(木村達夫『佐藤幹夫の数学』をみよ)

 

 

x それでも20世紀の数学の発見はすごいけどね。

 

 

僕 もちろん形式がダメって言ってるわけじゃないよ。形式や論理を万物とまでいわなくても数学の本質って考えてるのがナンセンスだなって思うだけで。

 

 

x うんうん

 

 

僕 ローラン・シュヴァルツなんかは感覚とか全く働かず図形がちょー苦手だけど形式とか論理とかはすげー得意だったらしい。あと形式色の強い風潮はあっても感覚的に数学やってる人もいるだろうし、たぶんそういう人が数学の発見に貢献したんだろう。

 

 

x グロタンディークとかもたぶん形式的なものの扱いも一流だけど感覚も鋭かったんだろうね。

 

 

僕 うん。まぁでももちろん感覚とか直感だけでもダメだろうから、それは円をいくら思い浮かてもそれだけではわからない性質とかが色々あるっていうのと一緒のことだろう。

 

 

x うん。っていってもさっきはレントゲンの話で盛り上がっていたけど「円の性質」くらいなら眺めるだけでもいろいろと性質分かりそうな気もするが。

 

 

僕 例えば円x^2+y^2=3は有理点(x座標もy座標も有理数であるような点)を通らないんだけど、これはいくら円を眺めていても分からないだろう*6

 

 

x 確かにこれは円見てるだけじゃ分からんなww

 

 

僕 まぁ確かにビジュアル的イメージや感覚も超重要だけど絵に描けない対象だっていっぱいあるでしょ?カントール集合とかフラクタルとかディリクレ関数とかどう描く?っていうことになるからね。いやそれこそ人だって見た目だけじゃ分からないでしょ?

 

 

x うん。まぁ(笑)プラトンみたいに線分は太さを持たないということも考慮すれば三角形や円や直線すらも描けないしね。

 

 

僕 哲学の話に行き過ぎたが、内在的幾何学っていうのはその見た目とかだけじゃ見えない性質「内在性」に注目しようっていう態度なわけだ。

 

 

x 外在性は肉眼の目、内在性は心眼の目とも言える?

 

 

僕 まぁざっくり言えばそうかもしれん。でもくどいけど別にそれは肉眼の目とかを軽視しているわけじゃなくてむしろそういうものが理解のための重要なきっかけになったりするわけね。

 

 

x うん。まぁマックレーン*7っぽいね。

 

 

僕 まぁそうかな。マックレーンは形式化は重要って言ってるけどあくまでもアイデアがあってそれを形式化するっていうことを言ってるわけだし、数学の場合、概念を正確に伝えるには形式化が非常に適しているわけだね。そういう意味での形式化なら大賛成かもね。

 

 

x うん。

 

 

僕 で、話を戻すけど、僕は同値関係っていうのは数学的概念の内在性を形式化したものだって考えてるのね。異なるように見える対象を同値類として一つのものにまとめて同一視するのが同値関係の考え方。内在性は同じ性質をもつ個々の対象を別個のものとして考えるんじゃなくて一つの普遍的なものとして捉える。似てるでしょ?

 

 

x うん。しかし同値関係がそんな深いとは!

 

 

僕 同値関係は僕は(抽象)代数ではじめて知ったんだと思うけどこんなようなことを考えて勝手に感動してたね。まぁ当時は今ほどこうはっきり伝えることはできなかっただろうけど当時考えてたことをまとめるとこうなるね。

 

 

x 同値関係はもっと無味乾燥な形式的なものかと思ってたよ。

 

 

僕 あ、まぁ内在性が介在した数学的概念は同値関係だけじゃないけどね。まぁそれが露骨なのは圏論ってやつだろう。まぁそれは自分で調べといてっていう感じで(笑)*8

 

 

x うん(笑)

 

 

僕 んで話の発端は僕が「固有値は内在性をもつ」って言ったことだからさ、その話しとくわ。

(ここからは長いのでさすがに分けます。お楽しみに!)

 

→次回記事

delusionspace.hatenablog.com

 

*1:代数学の基本定理により複素数の範囲では必ず解を持つから。

*2:ってか学校数学自体そうなんだけどね

*3:平面を全体としたときの円の補集合

*4:円を3次元空間内で考えれば向きなども外部の情報になる。

*5:一応言っておくがこれは僕の話ではない。

*6:証明は「x^2+y^2=3、有理点」などで検索すれば出てくるだろう

*7:マックレーン『数学 その形式と機能』

*8:例えば

http://www.phys.cs.is.nagoya-u.ac.jp/~tanimura/lectures/tanimura-category.pdf

 参照。F. William Lawvereによる"Conceptual Mathematics: A First Introduction to Categories"も図が多くて直感的に分かりやすい本なのでオススメ!